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加齢と喪失

加齢と喪失

執筆者 | 八阪 義浩

わたしたちCCの世界では、支援というと
「○○できるようになる」という視点でものを見ることって多くないでしょうか?

それは、簡単に言うと、“できない”を”できる”に変えていくこと

そのために必要な言葉だったり、考え方だったり、
時にはCLさんの行動を支えることだったり…。
プラスの方向、明るい方向へと物事を進めていくことで、
CLさんが今よりも満足・納得できるキャリアを歩めるようになる。

確かにそれって大事なことなんです。

わたし自身も、学生・若者支援が専門でしたので、
元気な方や、大きな問題の無い方は、そのスタンスで進めていくのが王道だと思っています。

ただ、それってどこか一面的な見方になっていないでしょうか?
わたしはいつも、それが気になっていて、自分の視点に偏りが無いか、注意しているんです。

ちょっと脇道の話になるかもしれませんが、
わたし自身がロールプレイの指導をする際の話をいったん挟ませてください。

面談の指導時に何度も何度も、口を酸っぱくして言っているのが

”○○と言ったら次どうすればいい?”など
先に進めることばかり考えるのはやめなさい。

ということ。
これは、典型的なCLを置き去りにするCCの考え方だからですね。

わたしの中でこの考えに注目するようになったのは、
若者支援の中でも特に、最初にCCとして勤務をしたのがサポステ(※)だったこともあって、
”できない”を”できる”に変えられない、という状態のCLさんをたくさん見てきたからです。

※若者サポートステーションの略称です。
 ニート・フリーター・疾患や障がいをお持ちの方など、働くことや就労に向けた課題が多い・大きい・複雑で、

 すぐに就労に向けて動き出すことが難しい方がよく利用されます。

そんな彼らにとって、”できる”という言葉や状態は、とっても眩しいものです。

時にその眩しさに目がくらみ、足もすくみ、
「自分のいるべき場所じゃない」という所在の無さを感じることもある、そんな存在です。

では、話を少しずつ本題に戻していって…

”できない”に遭遇した時に、人はどんな気持ちになり、
どんな葛藤が起き、どのように決断していくのでしょうか?
それをイメージするうえで最もわかりやすいのが、
今回の例に挙げた、加齢による衰えではないかなと思います。

わたしもこの記事の原稿を書いている8月上旬の今、
実は足を痛めているせいで、歩くのもケンケン移動の状態です。
「くっそー」とつぶやきながらも、「普通に歩きたい」と思いながらも、
いくら文句を言おうが歩きたいと願おうが、急に足が動かせるようにはならないです。

この状態ってつまり、“できない今の自分”を受容しなければいけないんですよね。
昨日の病院からの帰り道では、まさにそんなことを考えていました。

もう少し踏み込むと、これは「喪失」ですね。
できていたものを手放す体験でもあるからです。

そしてこの喪失は、これから先、誰にでも起こることでもあります。
それが今回のタイトルでもある、加齢による衰えによって起こるのです。

今この記事を読んでいる方の中にも、
「最近、記憶力が落ちてきて…」と感じておられる方はおられませんか?
身体のどこかが自分の思うままにならないと、すごくもどかしかったり、悔しかったり、
自分に対して残念な気持ちも湧いてきたりします。

それは、“できる”が”できなくなる”に変わっていることを突きつけられるからですね。
そして、加齢による衰えの場合、それが不可逆的である(元に戻れない)ことも多々あります。

元に戻れる可能性が無いのに、だんだん喪失をしていく。
1つ手放し、2つすり抜け、3つ失い…。
そんな喪失の毎日を予期してしまうこともあるでしょう。

これからの人生は坂を下っていく場面が続くことがわかってしまっている。
自分の未来が下り坂になることがもう見えてしまっている。

そんなCLさんたちに、冒頭で述べたような“できない”を”できる”に変える視点でしか
関わることができないCCだと、どうでしょうか?
CLさんと信頼関係を築くことって、すこぶる難しくなりますね。

“できない”を”できる”に変えることができる、そう信じられる眩しい世界は、
彼ら・彼女らにとってはもう過去のものであり、他者のものになっているからです。

明るい未来に向けて、何かを獲得していく。
未来が広がり、上のステージへと昇っていける。
獲得、拡大、成長、達成…。

そんなポジティブな部分だけをキャリア支援として捉えていると、
ごく一面的な部分しか見れない、視野や支援範囲の狭いCC、ということになります。

それでは、支援や面談も早晩行き詰ってしまいます。

CLさんがいろんなもの・こと・能力を喪失していく中でも、
さらにその喪失が不可逆的なものであったとしても、
「何とかやっていく・自分らしく生きていく」とは一体どういうことなのでしょうか?

失うことの怖さ、残念さをCLさんが抱えていて、なおかつそれが避けられないときに、
CLさんはいったいどんな気持ちになり、CCに対して何をして欲しいと願うのでしょうか?

そこを一度、じっくりと考えてみて、
この記事を読んでくださっているみなさんが、
ご自身の支援のあり方も見直してみる機会にして欲しいなと願っています。

さて、今回の記事はいかがだったでしょうか?
最近は少しずつ、この「ひとり言」のコーナーを楽しみにしています、という
嬉しいお声もいただけるようになってきました。
そういったお声が記事を書く励みになるので、本当にありがたいですね。

今後も、弊社発行のメールニュース・LABO Letter(ラボレタ―)のバックナンバーとして、
そして、弊社やわたし自身の考え・視点をお伝えする場として、
ぼちぼちペースで発信していきたいと思っています。

今回のひとりごとも、何か少しでもみなさまの良い気づきになれば幸いです。
よろしければ次回も、わたしのひとりごとお付き合いくださいませ。

それでは、また。