このコラムは、弊社が発行しているメールニュース『LABO Letter』に載せているコラムから
毎月1本ずつ抜粋して、バックナンバーも兼ねて掲載しています。
日常生活の中でふと気づいたことや、ちょっとした話題で楽しんでもらえるように
ライトな読み物として作成しているコラムなので、
この記事をご覧になっている方も、肩肘張らずに気楽に読んでくださいね。
この言葉は、たぶんカウンセリングやキャリアコンサルティングを学んだ人で
知らない・聴いたことが無いという人はいないんじゃないでしょうか。
それくらい、有名なフレーズですよね。
そして、わたしも実はすごく気に入っていて、
CLへの支援やCCへの指導でも割と使用することも多かったりします。
ただ、最近になって
あれっ、過去って実は変わるんじゃない?
と感じた出来事があったので、今回はそこに触れてみたいと思います。
今回わたしが取り上げたい”過去”は、1日前や1週間前、あるいは数年前のような
現在に近い過去のことではなく、もっとはるか昔、つまり”歴史”のことです。
みなさんは、ご自身が小学生や中学生の頃に習っていた歴史の内容と、
今の子供たちが学校で学んでいる歴史の内容が
ずいぶんと変わってきているということはご存知でしょうか?
たとえば、日本史で有名な変更点を挙げると、
- 聖徳太子ではなく厩戸皇子(うまやどのおうじ)
- 大化の改新ではなく乙巳の変(いっしのへん)
- 鎌倉幕府成立は1192年ではなく1185年
- 江戸幕府は鎖国してない(鎖国という呼び方をしない)
- かつて悪政を敷いたと言われる人は実はそうではない説
(日野富子、徳川綱吉、田沼意次あたり)
パッと浮かぶだけでも、これくらいでしょうか。
この中でも特に目を引いたもので、かつ今回の話題に繋がるのが
鎌倉幕府の成立年が変わったという話です。
なにせ7年も動いていますから、捉えようによってはまさに「過去が変わった」と言えますね。
では、”過去”が本当に変わったのか?をもう少しじっくり考えてみると…
実は、起きた出来事(事実)自体は変わっていません。
従来は源頼朝が征夷大将軍になった
1192年を鎌倉幕府の成立と見なしていたものを、
1185年の守護・地頭の設置によって頼朝が覇権を獲ったとみなして
ここを鎌倉幕府の成立とした、というだけなんですね。
これは、起きた事実は変わっていないんです。
ただ、現代人が歴史上の出来事をどのように解釈するかが変わったことで、
線引きをする箇所(年代)が動いた、ということです。
これが「過去が変わった(と言えるかも?)」の正体、ということになるのかな?と
わたしなりに解釈をしています。
同じく”過去が変わった”とも言える
有名な人物の1つとしては、生類憐みの令で知られる徳川綱吉でしょうか。
“犬公方・お犬様”なんて言葉も生まれるくらい極端に犬や動物たちを保護して、
その代わり人間がないがしろにされた…かのようなお話を
聴いたことがある人がいるかもしれません。
これも、今では綱吉のことをそう教わることは減っていて、
生類憐みの令は「命を大切にする」というメッセージであった、という説があります。
また、武力で無理やり従わせる武断政治から
法と倫理で治める文治政治に切り替えようとした、とも言われています。
綱吉が将軍のころは、もう戦国時代が終わってずいぶん経っていたとはいえ、
まるで現代人のような価値観を江戸時代に求めるのは
あまりにも早すぎたのかもしれませんね。
今回は”歴史”を題材にしましたが、例に挙げた話はいずれも
「30年くらい前は、まだ知られていなかった視点」だったかと思います。
では、その30年くらい前の時点に戻ってみてください。
その当時、わたしたちが見ていた“過去・歴史”は一体どんな内容どうだったでしょうか?
鎌倉幕府の成立はほとんど誰も1192年だと信じて疑っていなかったことでしょう。
また、徳川綱吉は悪政を敷いた将軍だと思っている方も、きっとたくさんいたはずです。
そしてそれは30年前の当時の時点では、「変わらない過去」だったはずですね。
変わらないはずのものに、実は変わってしまう可能性がある。
そう考えると、実に不思議な話ですね。
わたしたちCCの世界でも、これまでは当たり前と思っていたものが
もしかしたら揺らぐのかもしれない。
そう思うと、好奇心がむくむく湧いてくるのはわたしだけでしょうか?
みなさんは、この話をどう感じますか?
また良かったら、どこかで感想やご意見を聴かせてくださいね。
今回のひとりごとコラムはここまでです。
それでは、また。