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言葉が理解の枠組みを決める?

言葉が理解の枠組みを決める?

執筆者 | 八阪 義浩

このコラムは、弊社が発行しているメールニュース・LABO Letterに
載せているコラムから1本を抜粋してお届けしています。

日常生活の中でふと気づいたことや、ちょっとした話題で楽しんでもらえるように
ライトな読み物として作成しています。

いつものように、何か少しでもCCとしての学びに紐づけながら
気楽に読んでいただければ嬉しいです。

これまでにもわたしはいろんな講座でお伝えしていることなんですが、
『CLは自分の悩みや感情をそんなに正確には言語化できない』
という話について、ちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。

突然ですが、この記事を読んでいるみなさんは

魚の名前を10個挙げてください

と言われたら出せるでしょうか?

たぶん、食卓に上がる身近な魚を挙げていけば、
頑張れば10個くらいは挙げられるかと思います。
サンマ、ブリ、カツオ、カレイ…
焼いて食べる魚だけでも、たくさんありますよね。

でも、多くの日本人はこうして魚の名前をたくさん挙げられるけれども、
最近インバウンド効果で大勢来日している外国人の方たちは、
魚に全然詳しくない人もたくさんいます。

あるアメリカ人の方は、知っている魚の名前を聞かれて

tuna,salmon,…fish! (マグロ、サケ、後は全部”サカナ”!)

なんて回答をしておられました。
また、同じ魚だけれども成長すると
ハマチからブリに名前が変わるんです、と説明されると

Oh! it’s like a Pokemon!(まるでポケモンみたいだ!)

とも(笑)
日本っぽい部分だと受け取ったようで、なんだか微笑ましいですね。

似たようなケースだと、フランス語では蝶と蛾は区別されておらず、
どちらもpapillon(パピヨン)と表記されます。
逆に日本人はラクダの種類を全然知らないけれども、アラブの国々に住む人たちは、
生態や体形などによってラクダを10種類以上にわけて理解しているそうです。

これって、聞けば聞くほどなんとも不思議な話ですね。

もともとそういう単語があるから、その差が”理解”ができるのか、
あるいはその差を理解しているから、”言語化・単語化”ができるのか。

果たしてどちらなんでしょう?
おそらくこれは、言語学の領域になるのかなと思います。
わたしはそこは専門ではないのですが、すごく面白そうですよね。

そしてここで、冒頭の部分で少し触れていた
CLは自分の悩みや感情をそんなに正確には言語化できない
ということを思い出してみてください。
CLは自分が抱えている悩みや自分の中に沸き起こっている感情について、
果たしてどれくらい理解しているのでしょうか。

さらに言えば、仮にCL自身が本当にちゃんと自分の悩みや感情を理解していたとしても、
それを綺麗に表現できるだけの言葉をCLの引き出しの中に持っているでしょうか?

みなさん自身も、よくよく振り返ってみて欲しいのです。
本当に、自分の考えていることや感じていることを正確に表現して言語化していますか?
簡単には説明できない複雑な事情や、うまく言い表せない感情を抱いたことはないでしょうか。
そして、そんな時こそ、人に相談したくなったことはないですか?

CLが言葉にしたからそれが正しい、CLが発言したことを忠実に拾うのが正しい、という
CC業界の一部でまことしやかに言われていることがいかにおかしな話なのか…。

それは、今回の魚や蝶、ラクダの例で取り上げたように、

言葉を知らないと、区別も表現もできない
言葉の広さ・深さは、それを発する人の理解の枠組みに依存している

という現実を考えれば、気づけるはずのことなんです。

CLの言葉をただ額面通りに受け取るだけなら、CCでなくても、素人でもできます。

CL理解は、CLの発言を拾って返すだけのオウム返しや、
自動応答のようなやりとりでは決して進まないです。

わたしが何度も繰り返し、根気よく講座でお伝えしているメッセージも、
こうした身近な話題を用いながら根拠を示していくと
この記事を読んでくださっているみなさんにとっても、わかりやすいのではないでしょうか。

これをぜひ、ご自身の支援・面談に活かしていっていただけると嬉しいです。

さて、今回の記事はいかがだったでしょうか?
いつも読んでくださってる方、今回初めて読んでくださった方、
どちらもここまでお付き合いくださって、感謝しています。ありがとうございます。

今後も、弊社発行のメールニュース・LABO Letter(ラボレタ―)のバックナンバーとして、
そして、弊社やわたし自身の考え・視点をお伝えする場として、
ぼちぼちペースで発信していきたいと思っています。

今回のひとりごとも、何か少しでもみなさまの良い気づきになれば幸いです。
よろしければ次回も、わたしのひとりごとお付き合いくださいませ。

それでは、また。