今週の八阪さん ~1級CC技能士に聞いてみよう~
みなさん、こんにちは。働く楽しさ研究所・代表の八阪です。
ここでは、毎週配信している弊社のメールニュース・LABO Letter(ラボレタ―)の
読者アンケートや弊社公式LINEの質問箱に寄せられた
「こんな話を聴いてみたい」「こんな質問をしてみたい」というメッセージから、
毎回1つずつ話題をピックアップして、みなさまにお届けしています。
今回も講座の参加者さんの中からよく聴かれる疑問や悩みをピックアップしてみました。
特に最近はCL理解のレベル・解像度を上げていこうという話をすることが多いので、
見え方・捉え方について質問や相談をいただくことが多くなってきた印象です。
この記事を読んでくださっているみなさんにとっても
いいきっかけや発見につながる内容があるかと思いますので、ぜひ読んでみてください
Q「自分の事例の解釈が八阪センセのものと違っていて、”まだ全然ダメだ”と思ってしまいます」
(愛知県・需給調整機関領域ほか多数)
A.「人が違えば解釈も変わるのですから”わたしと違うからダメ”ではないです」
最近は面接・論述と読み解き編の講座開催が続いたことと、
試験が迫っている影響もあるのでしょうか。
自分が事例を読んでみた・考えてみたけどどう思いますか?
という相談や質問をされる機会が増えています。
わたしも自分なりに、事例に書いてある内容の解釈と、
書かれていないけど含まれているであろう内容の解釈を
セットにして「わたしだったらこう考える」とお話しすることがあります。
その時によく出てくるのが、冒頭でも挙げた内容です。
自分の解釈とわたしの解釈を比較してみて、その内容やレベル感の違いに
「ガーン…」とショックを受けるというものです。
これについては、実はわたしも難しいところだな、と悩んでいるポイントでもあって、
ショックを受けてしまうくらいなら、いっそわたしの解釈は言わない方がいいのでは?
という考えも持っています。
質問された方の状態・傾向などを踏まえて、場合によっては
「わたしの解釈を聴くことより、ご自身の解釈になぜそんなに自信が無いのかに」
焦点を当てた話にすることもあります。
ちょっと話が逸れたので元に戻しますが、わたしは今回のQ&Aのような悩みは、
このCCというお仕事の特性も大いに影響していると思っています。
CCは相手(主にCL)の考え方や想い、物事の受け止め方や判断など、
非常に抽象的なものを扱いますから、その抽象的なものに対して、
これまた抽象度の高い自分の考えや解釈についてまとめようとすると
ますます”確たるもの”が見えづらくなってしまいます。
やればやるほど・学べば学ほど、
「本当にこれでいいのだろうか?」という疑問が湧いてくるのが
キャリア支援・対人支援の難しいところですよね。
CCという立場・役割で働いていると、なかなか自信を持てないというのも
こうした仕事上の特性が大きいのではないでしょうか。
では、わたし自身はどうしているのか?というと、
「他のCCと解釈が一致しているか否か」にあまり重きを置かないようにしています。
それが自分を守るためでもあり、また相手の方を守るためでもあるからです。
そもそもCCという立場でCLと接しているときも
CC(自分)とCL(相手)は他人どうしなんだから、自分と同じ解釈であるはずがない
だから、仮に自分の考えや提案を否定されてもそれは当然だ
というスタンスでいます。
これをCCどうしの事例の解釈の違いにも応用しているだけです。
人が違えば解釈が違う。でも、それを尊重することが他者理解ですよね。
そして、違いがあるからこそ、その違いを知ることでCCも成長できるし、CL理解が深まっていくのです。
わたしと解釈が一致していないとダメ、となると、
それは自分自身で考えることを放棄しているのと変わらないです。
それでは、CCとして成長することも無くなってしまいますね。
わたしがよく、それはダメだよとハッキリNGを出す行為の1つに
「八阪センセの答えを知りたい」「模範解答が見たい」というものがあります。
このお話は過去に弊社の講座に参加された方には直接お話したこともありますが、
まずわたしの回答や解釈を”模範”と思ってしまうことが大きな問題なんです。
そういう考えが沸き起こってくるとわたしの回答や解釈ばかり見て
目の前のCLと向き合わなくなってしまいます。
また、それとは逆に「自分の考えはこうだから」と自説にこだわって変化も改善もしない人も同じです。
結局どちらも、わたしの回答と自分の回答を見比べているだけで、
それをやればやるほど、本当に向き合わないといけないCL本人はどんどん置き去りにされてしまうのです。
わたしの回答と自分の回答を見比べているとき、
CLはどこに行ってますか?置き去りになってないですか?
一番見なければいけないものを忘れないためにも、
違いがあるのは当たり前だ、ということを腹の底から受け入れるようにして欲しいです。
少しでも参考にしていただけたら、そしてこの考えについて、
今このコラムを読んでくださっているみなさんも共感していただけたら嬉しいです。
それでは、今日はこのあたりで。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございます。